02/20〜02/11
起きても何度も読んだことのある本を読み返しただけ。新しくなにかをしようという気に最後までならなかった。だめだこりゃ。
新しく空気を詰めたダッチワイフに二人乗りして、僕たちは砂漠の国の小さなオアシスへやってきた。ここの周りにあるのは砂ばかりで、テレビもラジオも使えないような所だ。僕たちは一日中ゴロゴロしたり水浴びをしたり砂遊びをしたりして毎日を過ごした。たまに通りかかるラクダに乗った旅人達に、いろいろな旅の話を聞くのが楽しかった。
ここの昼間はうるさいくらいに太陽が輝いていて、毎日雲一つないワンパターンなお天気が続くのだが、夜になれば数え切れないほどの星々と銀色をした月が真っ暗な世界を飾ってくれる。星は時間と共に少しづつ位置を変えていくし、たまに流れ星を見ることができるのでずうっと見ていてもちっとも飽きない。
僕たちは星座と言えば北斗七星とオリオン座くらいしか知らなかったので、好き勝手に星座をつくって楽しんだ。適当な星座をつくって、それに合わせた適当な物語をつくった。面白い話ができた時はラクダに乗った旅人達に話した。みんな笑って聞いてくれた。
僕たちが暮らしていたオアシスは、ある日突然干上がってしまった。もう少しここにいたかったけれど、オアシスが干上がってしまっては僕たちは暮らしていけない。またどこか別な場所に行こう。
僕たちはダッチワイフに空気をいっぱい詰めて、また旅に出ることにした。
以上
ドングリ、イソギンチャク、アオイソメ、ミミズ、アメフラシ、ナメクジ、フジツボ、フナムシ、アメリカザリガニ、ムカデ、クモ、サソリ、ゴキブリ、シロアリ、トンボ、シャクトリムシ、セミ、コオロギ、ウジ、アリ、ゲンゴロウ、カブトムシ、ミ−ルワーム、イモリ、カエル、ヘビ、カメ、ドバト、セキセイインコ、ヒヨコ、ハム☆。
最初、目次に並んだこれらのカタカナで羅列された食材達を見たときは、どれも絶対に試したくない食材だと思ったものだが、果たして読み終わってみると、ゴキブリやシャクトリムシなどの強烈すぎる食材に脂まみれの脳味噌が麻痺したためか、アメリカザリガニやフジツボくらいなら試してみてもいいかなという気になっていた。いや本当に。この本の文章が哲学的で面白く、またレシピが先日読んだ「おもてなし料理入門」なんかに比べたらお手軽で、僕にも実行可能なレベルなので本当に試したくなってしまうのだ。
たぶん僕が大学時代にこの本に出会っていたのなら、友達を巻き込んでいくつかかならず試していたであろう。
この本には、様々な動植物達の食料としての可能性が、入手方法や写真付きのレシピなどによって紹介されている。著者は「ゲテモノ」という言い方は、それを食べることのない側の主観でしかないという考えを基本理念とし、あらゆる食材に対して一切の偏見を捨てて「食べる」ことに真摯に取り組んだ結果、この本は文句のない名作となった。まあこれは僕の主観でしかないけれど。とりあえず、この本はよくテレビのバラエティーとかでやっているゲテモノ料理特集とは思考レベルが根本的に違うことだけは確かだ。
紹介されている食材は、どれもみんな生き物としては知ってはいるが、食材としてはほとんど未知の世界なところが興味深い。インドの山奥や南米の熱帯雨林でしか手に入らない食材ではなく、手に入れようと思えばすぐに手に入るものばかりなのが実用的で現実的なのだ。しかし、実用的で現実的な分、ゲテモノが駄目な人にはたまらない本なのだろうけど。
しかし釣りの餌によく使っていたアオイソメが天ぷらにすると美味しいなんて考えもしなかった。本当にどこを読んでも新鮮な驚きに満ちあふれている。
安物のダッチワイフに二人乗りして旅に出た。僕たちのダッチワイフは風に乗って空を飛ぶことができる。遠くへ遠くへと僕たちを運んでくれる。そして僕たちは温かい海で漁師になった。でも僕たちは魚を捕る方法を知らないので海を眺めているだけだ。それでよかった。
僕たちが住んでいた町に台風が来て、すべての船と多くの漁師が海に飲み込まれた。町の人達は「海と一緒に暮らしていればこんなこともあるさ。」といっている。
僕たちはダッチワイフに空気をいっぱい詰めて、また旅に出ることにした。
以上
よくわからない恋愛本を読む。「ダメになる前に死んでくれ」とか「ポケットに詰め込んでこのまま連れ去りたい」とか「ニューヨークへ行きたいか〜」とか様々な愛情表現があることを知ってはいたが、この本によると、あまりにも好きになりすぎると、「いっそ君になりたい」と思うようになるらしい。面白い考え方だなと。君になって鏡の前でか。
以上
人間に関して言えば、確かに肝臓あたりに取り付いて死に至らしめるような悪者の寄生虫もいるが、人間に自覚症状すら与えずに穏やかに生活していくヤツらもいる。場合によっては体にいい寄生虫もいる。花粉症が治ったり。しかも、人間には有害な悪者寄生虫も、寄生先が鯨やら狐だと悪さをしないらしい。なんだそりゃ。
人間にとっての悪いヤツらの多くは、本来人間に寄生するために生まれてきたのではない。鯨の腸の中でのんびりと生きるはずだったヤツや、狐の肝臓に潜んでひっそりと生きるはずだったヤツらが、なにかの拍子で人間の中に入ってしまい、仕方がなく人間に寄生するために、いつもと寄生先の勝手が違うので傷つけてしまう。
で、なんでこいつら寄生虫が人間の中に入ってしまうのかというと、寄生虫が潜んでいるサバを鯨が食べれば良かったんだけれど人間が喰ってしまったり、寄生虫がいる狐の生活圏にドカドカと人間が入り込んできたりしたために、運の悪い寄生虫達は人間へと入り込んでしまう訳だ。奥が深い。
と言うわけで、寄生虫的な生活をしている僕は、僕に寄生されてもなんら問題のない寄生先を探そうかなと思ったりする訳だ。
以上
丸い土俵には札束が埋まっていているという比喩はよく知られている。丸い土俵と四角いリングの違いはあるが、相撲界とプロレス界では同じようなことが言われている。すると、あのでっかい体にはなにが埋まっているのだろう。やはり札束なんだろうか。夢や希望だったらいいなと。まあ筋肉なんだろうけど。
しかしまあ、僕は現在、身長172cm体重62kg体脂肪率22%の隠れ内臓デブなのだが、相撲取りよりデブだとは知らなかった。なかなかの衝撃だ。どすこい。仕方なく本気でダイエットを考えてみることにした。
とりあえずの目標は桜が咲くまでに千代大海に勝つこと。「千代大海に勝つ」か。なんか壮大な目標だ。
で、ダイエットメニューとして四股(しこ)を踏んでみた。パンツいっちょになって現役当時の千代の富士を気取って、片方の足をぐぐっと高くあげようと試みたのだが、全体中を支える足がフラフラしてしまい、どうがんばっても足が90度以上上がらない。千代大海への道は厳しいようだ。
以上
年をとってからできた子供はかわいいというけれど、年をとってからできた面皰というモノもなかなかにかわいいものだ。
モーニング娘。に習って「人生のホームページ」でも更新しようかと思ったけれど特に書くことがなかったのでやめておいた。
以上
何事かと差出人を見てみたら、「サントリー」だった。はてはてと思いあたる節を油まみれの脳味噌から引きずり出したところ、どうやらこれは、会社員だった頃に、暇つぶしにインターネットでの懸賞に凝っていたときに応募したものではないかと予想をつけた。
さて、このディサローノアマレット、どうやらモニターとして送られてきたようだが、なぜかアンケートハガキもなにも入っていない。どうしろっていうんだろう。おいしかったらみんなに言いふらせばいいのかな。まあなんでもいいや。
天気がいいので、両国駅から徒歩7分の「東京都立横綱町公園」にいった。この公園には関東大震災の記念館?があり、溶けた瓶やら震災直後の様子を描いた絵やらが展示してあるが、まあそんなにおもしろいところではない。
なんでこんなところにわざわざ電車賃をかけてやってきたのかというと、以前ここを訪れた友人から、「ここの管理人は見る価値がある」といわれていて、それがどうも気になっていたからだ。
で、いってみたのだが、確かにそいつの言うとおり、なかなかの管理人だった。どうなかなかなのかというと、一切動かないところ。管理人はよぼよぼのおじいちゃんなんだけれど、これがみごとなくらいに椅子に座ったまま一切動かない。暇なら暇で本を読んだりしそうなものだが、ただ座っているだけ。「動かない人」のパントマイムをしている人よりも動かない。しかも二人もいる。
この人達には一応見張りのお役目があるのだろうけれど、僕がみているかぎりでは蝋人形でもなんら問題なさそうだ。だいたいお客は僕以外に一人もいない。泥棒さんが入るようなところでもあるまい。あまつさえ、ここの入り口には12歳以下の子供は保護者同伴でなければ入場してはいけないとの立て札が堂々と立ててある。なんのための記念館だ。
などと一人で考えながら管理人を観察していたのだが、ふと彼らの存在意義に気が付いてハタと膝を叩いた。彼らは管理人兼展示物なのだ。ここの管理人をしているくらいだから地元の人なのだろう。彼らはこの地で震災を体験した人なのだ。「関東大震災を生き抜いた人」というプレートを置いてもらえればわかりやすいのに。がってんがってん。
両国駅のホームに浴衣を着たお相撲さんがいたのがうれしかった。さすが両国。
以上
学生の頃、バレンタインが女の子にとっては特別スペシャルデーで一年一度のチャンスであると若き日の国生さゆりが「バレンタインキッス」で歌い上げたように、少女達にとっては一大イベントであった。女の子達はバレンタインというイベントに参加しないと損した気分になるので、多少無理矢理でも好きな人をつくってバレンタインを楽しんだ。
これは食い放題の焼き肉屋とかにいって、もうお腹いっぱいなのに食べ続ける心理状態と似ている。「モトとらなきゃ」って思っちゃうんだな。バレンタインがなんのモトをとるのかは知らないけど。バーゲンにいったらなにか買わないと損した気分になるのとも一緒だ。したがって、節分で豆を蒔いて七夕で短冊書いて年末にそばを食べる人はバレンタインにチョコを配る。
しかし、このようにバレンタインだからといって素直に行動に移すのは、たぶん高校生くらいまでだろう。いい大人に育ってしまった僕の知り合いの女性達で、バレンタインに愛を告白するなんていう人はいない。たぶん。これは僕が思うに、もうバレンタインを信用していないからだと思う。海千山千の大人達にはバレンタインが菓子メーカーと広告代理店が都合いいようにでっちあげたインチキ文化でしかないことを知ってしまっている。
これはクリスマスにサンタを信じることができないのとは訳が違う。クリスマスにはサンタという実体があるが、バレンタインにはなにも実体がない。あるのは過剰包装されたチョコレートだけだ。チョコレートはとてもうまいが、だからといって御利益があるとは思えない。小学生ならともかく、分別あるいい大人はチョコレートにはつられないだろう。
そんなわけで、大人にとってのバレンタインは、「義理チョコ」というよくわからない風習として残ったようだ。しかし義理チョコってなんなんだろう。戦時中に米の配給を受けるみたいに事務的に義理チョコを渡されてどうしろっていうんだろう。なんで義理でチョコをもらわにゃいかんのだ。なんの義理だ。糖尿だったらどうすんだ。
まあそれでも男達は誰かが告白してくれるのではという淡い期待は絶対ギリギリまで捨てないし、たとえ義理チョコだとしてもとりあえずはうれしいし、基本的にチョコレートはうまい。毎月14日がバレンタインでもいいくらいだ。国民の血糖値が上がりそうだけど。
バレンタインはとても俗っぽいものなんだけれど、そういったバレンタインに関するすべての事実を知りながら、バレンタインを楽しめる人はかっこいいと思ったりする。そんなことを一歩も外出しなかったバレンタインに思った。
以上
寄生虫博物館には8メートルのサナダムシホルマリン漬けとか、キンタマが膝ぐらいまで膨らんだ人の写真とか、目に寄生されたウミガメの生首とかがいろいろ展示されていて興味深い。できればもう少し濃い内容だといいけれど、無料なので文句はいうまい。
こんな所にくる客層はというと、全員がメガネをかけた家族連れ、スプラッタ系が好きそうな女の子軍団、秋葉原から流れ着いてきたような人など多彩。共通点は、寄生虫を「他人事」ととらえて興味本位で見ている事か。その場で寄生虫チェックをしてくれるサービスとかあったら面白いのに。
ここの二階にある売店では、エンボス加工されたサナダムシ柄のTシャツやら寄生虫型ペンダントトップなど、ハードでデンジャーでワイルドなおみやげ物が多数売っていてとても楽しい。とくにTシャツはお金さえあれば買い占めてしまいたいくらいいい感じだ。欲しい。
これらの寄生虫グッズを無表情に売るねえちゃんが色白痩せ形で、いかにも「寄生虫がいます」っていう感じなのがさすがだった。いい演出だ。あれはたぶんサナダムシだと勝手に妄想。
寄生虫博物館を見てとりあえずいえることは、お腹が減っていても川魚を生で食べないほうがいいということと、家で飼っているかわいいペットも一皮むけば寄生虫がうじゃうじゃいるかもしれないということと、寄生虫の立場になって物事を考えてみようとはなかなか思わないものだということ。ある寄生虫が絶滅の危機に犯されても、人は決してその寄生虫を保護しようとはしないだろうな。寄生虫も辛いね。
帰りに博物館から目黒通りを挟んで左斜め向かいにあるたこ焼き屋さんで、ネギしょうゆ味のたこ焼きを食べる。店構えにやる気が感じられないし、店員の態度、技術などあまり洗練されていない。しかもできたたこ焼きは外側が不安になるほどに焦げ気味だ。そんな訳でちっとも期待していなかったのだが、実際食べてみたら外側がこんがりしていて内側がトロトロでアツアツでとても美味しくてむかつく。たこ焼きは外見で判断してはいけないらしい。
以上
新宿のおまわりさんが主人公のハードボイルドでシリアスで人がいっぱい死ぬありがちな設定。設定はありがちなんだけれど、内容がネバネバニュチャニュチャギチョギチョグチャグチャでハチャメチャで、読後の後味最悪でとてもおもしろい。
たまに作者の中では意味が通っているけれど読む方には意味が通らないような話が混ざっているけれどそれは読む側の勉強不足ということか。勉強しなくては。なんでだ。
近所の公園をのんびり散歩。しかも和菓子屋で買った串団子を持って。まだ時期的に早いかなと思ったのだが、いくつかの気の早い梅の木にはもう花が咲き始めていていい感じだった。
僕は基本的にすでにじじいなのでこういったことが楽しい。じじいなので花のニオイを嗅ぎ比べたりする。くんくん。なんだか桜を見ているときよりも梅を見ているときのほうが精神年齢が高い気がするな。なんでだろう。梅の木は、表皮の質感がごつごつしていてかっこいいなと。
以上
一次会、イタリアな店。ピザの生地がピザーラと違った。ちょっとカルチャーショック。僕は生きている世界が狭いので、ちょっと珍しいところにいくとすぐカルチャーショックを受ける。
二次会、胡散臭いポン引き風店員に引き込まれてカラオケ屋へ。すでに使い古された感のあるヒロミ・ゴーのゴールドフィンガーの新しい楽しみ方を、まんぷくさんがばっちり開発してくれた。さすが。
佐藤カズヒロという、己の才能の六割が歌唱力に使われている男がまじめにゴールドフィンガーをフリ付きで歌っている時に、バックコーラスのオッオー!をまんぷくさんが力一杯シャウト。これが男前でかっこいい。バックコーラスの方がメインを完全に喰ってしまうカラオケって凄いな。クーデターだ。オッオー!
以上