03/20〜03/11
すでに角切りにされているトマトの缶詰をドバドバとフライパンにあけて刻んだアンチョビを油ごと入れる。グツグツと煮込んでバターやらバジルペーストやらその辺にある調味料やらを適当に放り込む。茹でたての麺にこのアンチョビ臭いソースをかければなかなか高カロリーなメニューの完成だ。
誰も見ていないのでスパゲティを箸でずずずっと焼きそば扱いですすったところ、これがとても美味しい。やっぱりアンチョビはシオカラに似ていると思う。
結論。アンチョビは癖になる。そして太る。
トゥナイトに乱一生が復活していて嫌な感じだ。
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欲しいモノは無限にあったのだが一人暮らしをしているわけでもないので大量に食料品を買ってもしょうがない。とりあえず雑炊用のスッポンスープ(並)とアンチョビとトマトの缶詰を買ってみた。成城石井は変な名前だけど楽しいなと。
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アンチョビっていうモノをちゃんと食べたことがなかったんだけれど、脂っこい鰯のシオカラみたいで美味しい。
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見えるといっても、実際に花粉が一粒一粒見えるのではなく、体に感じるスギの花粉が視覚を刺激し、イメージとしての花粉がビジュアル化され目の前に現れるのだ。だからといってなんの役にも立たない。ちなみに僕のイメージの中での花粉は緑色の小さなウニだ。
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羊のお肉ではないとなると、やはりラムは某漫画のキャラのラムだっちゃ。「ポケモンカレー」とか「キン肉マンソーセージ」と同じような意味合いでの「ラム酒」。はて。でもどこにもラムちゃんは描かれていない。さりとて味がラムちゃんという訳でもあるまい。
となれば、ラム酒のラムは、菊池桃子の伝説のバンド、「ラ・ムー」なのだろうか。だったらこの世知辛い世の中がもう少し楽しくなる気がする。
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エドウィンのジーパンの一つでも買うからもう勘弁して欲しいなと。
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外出時に、ポケットのちり紙がもう心許ない状態で、せっかくのちり紙補給チャンスに渡す側と受け取る側のタイミングが合わずにティッシュを取り損なってしまうことは、フルマラソンで体がカラカラになっているときに給水所で水を取り損なうのと同じくらいに悲しいのだ。フルマラソン走ったことないけど。
僕たちは今日も同じ場所で歌い続けている。勿論、別にいつやめてもいいのだけれど、僕たちが歌をやめたときに、僕たちの前を毎日通り過ぎていく人達が、僕たちの歌が聞こえなくなったことに気がつくようになるまでは続けようと思っている。
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僕たちは毎日同じ場所で歌い続けている。同じ場所で同じ歌を毎日毎日歌いつづけている。最近になって僕たちの前を通り過ぎていく人達が、僕たちに対して敵対心を持った視線をちらっと送るようになった。この街の住人は、少しづつだけれど僕たちがここに存在することを認識しだしたようだ。
以上