12/10〜12/01
なんで大量にCDがあるのかというと、大学時代の課題でイカ天についての小論文みたいなのを書いたら、なんだかどんな曲だったのか聞きたくなり、イカ天出身バンドのCDを探して中古CD屋を何件もまわったからだ。で、集まったのがAURA、人間椅子、宮尾すすむと日本の社長、MARCHOSIAS VAMP、ノーマジーン、ブラボーなどで聞いてみるとなかなか味わい深い。テレビで見ていたときは見た目やイメージでバンドの善し悪しを判断していたので音楽的なことはわからなかったけれど、CDで聞いてみるとバンドの能力差がはっきりとしていて面白い。人間椅子やMARCHOSIAS VAMPは今でも十分楽しめるけれど、AURAやブラボーにいたってはびっくりするくらいやばい。個性は認めるけれど、その個性は音楽で表現しないでくれって感じで素敵。こんなのにお熱だった私の青春って一体。まあこんなもんだろう。世の中は。
この番組を見た後にチャンネルをそのままにしておくと始まるのが「平成名物テレビ ヨタロー」通称ヨタロー。ヨタローといって何人が覚えているのかは知らないけれど、立川志らく、談春、春風亭昇太などの若手落語家をメインとしたこの番組は思わず落語家を目指してしまおうかと思ってしまうほどに面白かった。イカ天は今思い出すとちょっと恥ずかしい部分があるけれど、ヨタローに関してはどこに出しても恥ずかしくない思い出になっている。しかし、これはイカ天は再考察をして冷静な目で見直してしまったけれど、ヨタローは夢中になって見たテレビの記憶だけだからだろうか。今冷静に見たらちっとも面白くなかったりして。
以上。
最近、妄想通信の掲示板が人それぞれ好きなように使われていて面白い。場所さえ用意すれば使用する人が好き勝手にルールや遊び方をつくっていくということか。せっかくだからもっと面白くしたいので、仕掛けをつくってみる。掲示板の書き込みの文末でしりとりをしてみようと提案したらみんなつき合ってくれるだろうか。実験実験。
トゥナイト2で女子プロレスラーの神取忍が、男子プロレスラーのマッハ純二との試合を取り上げている。ある意味異種格闘技戦。コントチックな試合展開に満足。
以上。
ナンシー関のコラム本「信仰の現場」を古本屋で買ってくる。ちょっと情報的には古いけれど、それでも十分楽しめる内容。ナンシー関さんは文体が理屈っぽくなる部分があるけれど、その理屈っぽさのベクトルが妙な方向を向いていてかっこいい。文通したら惚れるであろう人ナンバーワン。
テレビで「戦場のメリークリスマス」を見る。見よう見ようと思っていたのでテレビで見られてとても嬉しい。急に深夜放送でやっていたので監督の大島渚が死んだのかと思ったらそうじゃなくて、「御法度」という新作映画の宣伝で一安心。
この映画に坂本龍一やら北野たけしが出演していることは知っていたけれど、某グラムロックのスターさんが出ていてびっくり。すげえ組み合わせ。いわゆるストーリーというものはなくて、戦争中の狂気を一部分そのまま切り抜いたような映画。メリークリスマス。
以上。
田螺っていうと、フナとかザリガニなんかを飼っていたときに、なんとなく一緒に水槽に放り込んでおいた生き物というイメージしかない。飼ってはみたけれど、名前を付けようとは思わない生き物だった。友達の金魚の水槽にもいたけれど、名前が付いた田螺にはお目にかかった事がない。
そんな田螺が食べられるということは、知識としては知っていたけれど、中国では犬を食べるとか、オーストラリアのアボリジニが芋虫を食べるとかと同じぐらい現実味がないことだ。食べられるのだろうけれど、食べる必要はない。しかし、母親は長野の山奥で育った人なので、蜂の子、イナゴ、カミキリムシの幼虫などを食べて育っている。いまさら田螺ごときで動揺したりしない。普通にご飯に乗っけて食べている。
食べるべきか食べざるべきか、それが問題だ。しかし、ここで田螺を食べないと私は田螺を一生食わず嫌いをしてしまうだろう。それは田螺に失礼だ。見た目とイメージで判断をしてはいけない。たとえそれが殻に苔を生やして田んぼの用水路でなのも考えずに生活している田螺であってもだ。決意を固めて、母親に習い白いご飯に二切れほどの田螺の佃煮を乗せて口に運ぶ。で、肝心の味は、田螺といわれれば田螺、サザエといわれればサザエ、アサリといわれればアサリ。まあ佃煮のタレの味です。
関係ないけど、山形の田螺はすげえでかい。
以上。
明日こそはホームページの更新をしようかなと思ってみる。まあ更新の準備だけでもしようっと。
偶然見た、学校給食をつくるための鍋とかしゃもじとかを扱ったカタログが面白かったので、普通の人は見ないようなカタログを批評する「カタログ万歳」というコーナーを始めようかしらんと思う。気が向いたらやろうっと。
以上。
地上に住む僕にとって、水中というのは言ってみれば別世界である。その別世界に地上から網をつっこんだり餌の付いた針を放り込んだりして、そこに住む生き物を捕まえるという行為はなんともいえないワクワク感がある。特に初めて行った場所とかだと、なにか見たことのないような獲物に出会えるのではと心が弾んでしまう。そして運良く見たことのない魚を捕ったりすると、図鑑でその魚の名前を調べて一人で納得するのだ。
僕がこれほどに水中の世界に惹かれるのは、僕がかなずちだからだろうか。
うっかり笑点をみたら、西川きよしと横山やすしの格好をした太平サブローが漫才をしていた。やすきよのオリジナル漫才が記憶にないので、これが似ているのか似ていないのか判断に困るが、とりあえず木村一八にカンパイ。
以上。
で、水生昆虫図鑑を読んで知ったのだが、タガメやタイコウチがなんとカメムシの仲間であるそうだ。カメムシっていうとよく草むらとかにいる将棋の駒みたいな形をした、くっさい虫だよな。するってえと、僕は水生カメムシを喜んで飼っていたと言うことか。まあ、カメムシ差別はよくないので、それもまた良しとしよう。水中にいる分にはオナラはしないし。 以上。
外人外人。外の人。
外人外人。外の人。
外国人外国人。外国の人。
外国人外国人。外の国の人。
外国人外国人。外の黒人じゃないよ。
なんだかわからないので却下。
アルバイト終了。
以上。
なににしようかなと考えながら某セブンイレブンの店内をぐるりと見回して、甘くて冷たくて固そうなのはやはり凍らした砂糖水だろうという結論にいたる。しかしそんな貧乏臭いモノはコンビニには売っていないので、とりあえず100円アイスで妥協。
どれにしようかなとしばらく思案し、ただいま10%増量中ということで森永のチョコモナカに決定。無愛想な店番の兄ちゃんに金を払って店を出て、さっそく袋をあけてひとかじり。うまい。冬の路上立ち食いチョコモナカのうまさを全身で表現しながら家路に向かったのだが、食べ進んでいくとどうもモナカの様子がおかしいような気がする。妙にモナカを持つ右手に伝わってくる重さが足りない。そう、モナカの具であるバニラがしっかり奥まで詰まっていない、ただいま10%増量中なのはモナカの皮だけで、中身であるバニラはそれほど増量されていなかったのだ。まあいいけど。
以上。
最近、夜、寝るのが嫌だ。寝てしまうと確実に明日が来てしまう。明日というものに漠然とした不安を感じるので、今日を終わらせたくない。寝なければ今日を続けられるのだと考えてしまう。月曜日が来るのを嫌がる小学生みたいだ。
昼間というものが嫌いだ。夜は自分がなにをしても誰にもとがめられない自由な時間であるという意識が子供の頃からあるから好きだが、昼間はちゃんとした生活を送らなければ誰かに責められる気がするから嫌いだ。だから最近は昼間は部屋を閉め切って眠ったり、本屋で時間を潰したりして夜が来るのを待っていた。そして夜が来ると一日を無駄に過ごした事の後悔と、太陽が沈んだ事の安堵、そして夜が終わることの不安を感じる。
そんな感じ。モラトリアムの闇だね。
以上。